山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
奈良時代の僧侶、行基の歌である。成田為三が作曲し、『ほろほろと』という歌唱曲にもなっているので知っている人もいるかもしれない。
あるとき、ふと、切なさが込み上げてくることがある。
胸が高鳴り、そわそわしたり、わけもなく涙がこぼれたり・・・。
またあるときは、懐かしい情景がまぶたの裏に現れることも。
それは、風に運ばれてくるときもあれば、流れてきた音楽がきっかけであることも。
そんなときは、気分が高揚し、ふつふつとエネルギーが充満してゆくのがわかる。
鼻や耳が遠い昔を懐かしんでいるのだろうか。
しまいこんで忘れていた大切な宝物を久しぶりに手にしたときのように、記憶の断片をかき集めて愛おしんでしまう。
虫の鳴き声を「声」として聞くのは日本人だけだという。
外国人には虫の声もただの雑音。
騒々しい生き物らしい。
古より虫の声を愛でてきた日本人は、移ろいゆく自然の姿こそ、この世のありようとして愛でてきた。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑいもせす
いろは歌の諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽は日本人の心そのもの。
ここにいる自分は父や母の、祖父や祖母の、そのまた昔に生きた先人たちの命のリレーの結晶であり、生命の根源である大海の一滴へとつながる。
鳥も虫も花も草木も、すべてはつながっているのだ。
ほろほろと鳴く山鳥はきっと、父の、母の、行基を慈しみ呼ぶ声だったのにちがいない。
(171018 第365回)