人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の『日の名残り』から抜粋した。
品格ある作風や、受賞理由の「感情に強く訴える小説」というのはそのままイシグロ氏の人となりを表しているのだろう。彼の作品を読んだ後は深い感動につつまれる。まるで、森の中で月明かりに照らされた湖畔を眺めているような、静かな感動が押し寄せてくるのだ。
人は夕日に魅せられる。
そしてなぜか、もの哀しさを覚える。
一日の終わりが、もうそこまで来ているのを名残惜しんでいるのだろうか。
夕焼けに染まった西の空が、家路を急ぐ足をひきとめる。
その瞬間、「美しい・・・」とつぶやく人は方々にいるにちがいない。
美しさには、どこか儚い哀しさがある。
夕景を見て、哀しみを覚えるのは、そのせいか。
美しい夕景を前にして、良い一日だった、悪い一日だったと考えるのは無粋というもの。
美しい瞬間に立ち会えただけで幸せではないか。
夕日が沈むまでのひとときを思う存分楽しもう。
夜のとばりが降りるころ、心地良い眠りがやってくるはず。
そう、人生の夕暮れ時もそんなもの。
「人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。 ── 何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう」
日の名残りを惜しむ、主人公スティーブンスの胸の内である。
(171030 第369回)