迷うべきです。迷うときが進歩するときです
つい最近も取り上げた。新田次郎の『銀嶺の人』からの抜粋である。実在の人物をもとに書かれた小説だけあってリアリティは半端ではない。登場人物の心理描写も微に入り細に入り、岩壁登攀や冬山登山の厳しさは読んでいるこちらまで手に汗を握る。
鎌倉彫の彫刻家、若林美佐子が作品づくりで迷い悩んでいるときに師から言われた言葉がこれだ。
何かを追求しているとき、人は迷う。
本当にこれでいいのか、もっと良い方法があるのではないか、もっと良くなるために、もっと良いものを・・・。
そう思えば思うほど、迷宮に入りこみやすい。
足りないものを補おうと、あれもこれもと取り入れるから。
結局、何がいいのかわからなくなる。
けれど、その行程は悪くない。
いろいろ試さなければ、自分にとって何が良くて、何が必要なのかはわからないのだから。
いろいろ試したからこそわかる、自分にとって必要なもの。
「迷うべきです。迷うときが進歩するときです。でもあなたはやがて屈輪(くり)の姿に帰る…」
鎌倉彫の基本、屈輪紋様から離れようとする美佐子に師はそう言った。
遠回りしても、やがて基本に戻ってくると。
そう。
どんなに迷っても、結局、人は基本に返るのだ。
良寛さんの晩年の書が、子供の一筆書きのような書だったように、付け足し付け足ししたものを、後にひと剝ぎふた剝ぎして素に戻ってゆく。
付け足したからこそ、素の美しさがわかる。
文中にこんな言葉もあった。
「動かしているときと同等以上にその手を休ませているときが大事である。それは休むことではなく、どのように力を入れるかと思案をめぐらす時であった」
迷い悩むときこそ、動かずじっと自分自身と対峙しよう。
暗闇に一筋の光が射し込むことだろう。
(180104 第389回)