悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである
以前にも紹介したことがある。「世界三大幸福論」を提唱した一人、フランスの哲学者、アランの言葉をもうひとつ紹介しよう。どの言葉も紹介したいくらいだが、そこは著書『幸福論』から幸福の真髄を読み取ってほしい。
人間は気分に左右される生き物だ。
気分がよければ何でも良く見えるし、悪ければ何でも悪く見えてくる。
その日の気分で見える世界がガラッと変わることもある。
気分を刺激するのが外的要因。
晴れの日なのか雨の日なのかでも、なんとなく気分は違う。
体調はもちろん、きっかけひとつで気分は簡単に左右されてしまうのだ。
気分というのは、なかなかじっとしてくれない。
まるで落ち着きのない子供のように。
気分で動くのは子供だと言われてもしかたがない。
きれいに片づけた部屋も、しばらくすると散らかってくるということはよくある。
物事というのは秩序だった状態から無秩序の状態に進むという、エントロピーの法則が働くのだ。
人間、ほったらかしにしておくと悪い方へ進んでしまうということが、物理的にも証明されているということ。
つまり、落ち着きのない気分は、そのままだと悪い気分に流されてしまうということでもある。
悩んだり落ち込んだりすることは誰にでもある。
それ自体は悪いことではない。
そのままずっと何もしないでいると気分に支配されてしまう。
散らかった部屋を自分の意志で片づけるように、落ち込んだ気持ちは自分の意志で持ち上げられる。
悲観主義は幼稚であり、楽観主義は大人のふるまいとも言えるのだから。
(180119 第394回)