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紺碧の将

本当に望まない「不足」を楽しめることこそ真の「風流」であり、それができる人が「曲者」といえるだろう

玄侑宗久

 彼こそ「曲者(くせもの)」と言いたい。玄侑宗久氏である。

 禅僧と作家という名を双肩にのせ、此方彼方へと自由気ままに意識を遊ばせる。語る話はおもしろい。だって、お坊さんなのにあまりお坊さんっぽくないから。だから「ふむふむ」とミョーに納得してしまうのだ。

 

 「不足」が「風流」であり、

 そうなったらもう、「曲者」だという。

 

 風流人というのは、いかにも雅やかで不足しているものなどないような上流階級の人を思わせるが、どうやらそうではないらしい。

 

 本来、「風流」というのは千利休の名が示すように「名利共に休す」、つまり、権力や名誉などには無関心、名もなければ華美なものもない、身を飾るものがないことこそ心おだやかであるという状態。

 この不足を楽しめる人を風流人という。

 

 しかし、ここがミソ。

 望まない「不足」を楽しめるかどうか。

 

 玄侑氏いわく、

「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」のが禅の発想なのだとか。

 だから、たとえ意にそぐわないことであったとしても、楽しんでしまう。

 どんなことも楽しめることが禅的だというのだ。

 

 そして、真の風流人こそ曲者だと。

「曲者」とはいかに。

 

 曲なければ則ち全し。

 幹や枝が曲がった木が使い物にならないために伐採から逃れて寿命を全うするように、人生を長く楽しめるのは曲者であると、玄侑氏は説く。

 

 なんのこっちゃわからん?

 まあ、わからんのも楽しんだらええっていうこととちゃいますか。

(180216 第403回)

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