男が家庭を持ちたいってのは、思いっきり阿呆になれる場所がほしいからだ
『細雪』の著者、川端康成の言葉である。ノーベル文学賞まで受賞した川端にもこんな一面があったのだと、ちょっと安心した。
美しいものが何より好きだった川端は、美術品の蒐集家でも知られている。ギョロリとした眼は美を見抜くためのものだったのか、彼が蒐集した美術品のいくつかは後に国宝にもなっている。
今の社会で、ボーっとしていたら、たちまち置いてけぼりをくらう。
阿呆になろうもんなら、なおさらだ。
隙をついて、AIが自分のポジションに居座ってしまうかもしれないのだから。
全力で動いて、全力で休むことは子供だけの特権なのか。
いや、今では子供たちでさえ、ボーッとしたり休むことを許されてはいないような気がする。
人間は機械じゃない。
感情も意志もある、生き物だ。
生き物だから、ご飯も食べればウンチもする。
喜怒哀楽だってあるのが当然。
人間は地球と同じ、生命体。
ボーッとしたり、何も考えないときほど閃きがあるのは、きっと天とつながりやすいからだろう。
川端も、ときどき阿呆になって閃きを得ていたのかもしれない。
さて今は、子供のころのように、全力で休める場所はあるのだろうか。
昨今の家庭事情を知れば、夫婦ともども互いに気を遣いすぎのような気もするのだが……。
そこにいる子供はそれで、本当に安心して過ごせるのだろうか。
若者たちの多くが、恋愛にも結婚にもさほど興味がないというのもわかる気がする。
人間、誰でも愚かな一面はある。
そこがまた魅力だったりすることも。
しょうがないなぁ、それはそれでかわいいなぁ、と思えればいい。
こんな時代だからこそ、あえてボーっとしてみよう。
その姿を受け入れてくれる人や場所は、生涯のものとなるだろう。
ボーっとしたときに生まれてくる閃きや、それに惹かれるものたちは、天から送られてきているのかもしれないのだから。
(180309 第410回)