自分にできないことを、世の中に合わせたってどうしようもない。川に落ちて流されるのと同じことで、何にもならない
縁側でのんびりと日向ぼっこをする猫の絵といえば、97歳で大往生を遂げた孤高の画家、熊谷守一。仙人のような熊谷が残した言葉の断片である。
さらさらと流れるうららかな春の小川は、生きとし生けるものを育んでくれる。
その流れにそっていくのは、それほどむずかしくないだろう。
ところが、荒れ狂った川ほど恐ろしいものはない。
ごうごうと吼えはじめた川に近づこうものなら、足を掬われ、瞬く間に激流に飲み込まれてしまう。
情報が溢れかえる現代、自ら近寄らなくても向こうから押し寄せてくる。
そこをどうやってうまくくぐりぬけるかが問題。
どっしりと太い柱を立てて流されないようにしなければ。
ある若者が新聞の投稿欄に疑問をなげかけていた。
「求められるような人間にはなれないし、なりたいとも思わない。
友人がいないとダメなのか。
大学時代はハッピーに過ごさないとダメなのか。
働きたいという熱意がないとダメなのか」
と。
誰もが当然のように絵に描いたような幸せを求める中にあって、この若者は他人が望む幸せを自分の幸せとは思っていない。
この社会では、彼はきっと苦労するだろう。
しかし、それ以上に、大きな何かをつかむ可能性を秘めている。
これが正しいという答えはない。
宇宙自然の法則の、絶対真理というようなものはあるにせよ、人間が求める答えは人それぞれなのだ。
「川には川に合った生きものが住む。
上流には上流の、下流には下流の生きものがいる。
自分の分際を忘れるより、自分の分際を守って生きた方が、
世の中によいとわたしは思うのです。
いくら時代が進んだっていっても、結局、自分自身を失っては何もなりません。
自分にできないことを、世の中に合わせたってどうしようもない。
川に落ちて流されるのと同じことで、何にもならない」
青年よ!もっと悩め!
悩んだ先に、唯一無二の未来がある。
(180315 第412回)