言葉を正しくいうことは難しいが、これを感じよく、きれいにいうことはもっと難しい
沢村貞子
1941年、『青果の市』で芥川賞を受賞し、文壇にデビューした沢村貞子の言葉を取り上げた。「文は人なり」とはよく言ったもので、書物などの文章を読むと、その人物を知らずとも著者の人となりが見えてくる。
「書く人」だからこそわかる、話言葉の妙である。
言葉を使うのはむずかしい。
同じ言葉を使っても、受け取る人によって感じ方は違うから。
「正しい」ということも同じ。
何が正しくて、正しくないかは人それぞれ。
正しさの基準は一定ではない。
言葉を正しく使っても、伝わらないことはある。
正しくはないけれど、人の心を振るわせることも。
その違いはなにか。
言葉の向こうにある何かを、人は感じ取っているのだろう。
だとしたら、言葉はその人そのもの。
マザー・テレサも言っているように、思考は言葉になるのだ。
饒舌な人もいれば、口べたで吶々と言葉を選びながら話す人もいるだろう。
正しさや、上手い下手ではない。
きっと人は、言葉からたちのぼる香りに魅せられているのにちがいない。
書き言葉にせよ、話し言葉にせよ、飾り繕うことはいくらでもできる。
だが、上っ面な美しさは人の目はだませても感覚はだませない。
時がたてば薄れていく香りよりも、残り香が魅力的なものは忘れられない。
(180327 第416回)