デザインとは無限に反復される誠意だ
「白」をデザインするグラフィックデザイナーと言えば、原研哉氏。
無印良品のアートディレクターでもあるため、彼のデザインを目にすることは多いはす。
「デザイン」というと、オシャレで一風変わったものが注目をあびるというイメージがある。
凡人には近寄りがたい、きらびやかな世界にあるもの。
人もモノも空間も、最先端をいっているような。
ところが、日常はデザインであふれている。
形があるものはもちろん、ないものも。
キャリアデザイン、生活デザインという言葉もよく耳にするようになった。
デザインという言葉はもともと、計画や設計などを意味しているのだから、それはそうだろう。
それがわかると、この言葉もすとんと胃の腑に落ちる。
「手作りの一品もので数十万する〝芸術品〟が尊敬され、値段の安い量産品を作っていると尊敬されない。しかしね、コンスタントに数万個を売り続けられるような製品を生み出さないと、産業とはいえないと思いませんか」
工業製品としての白磁の生産に尽力したあるプロダクトデザイナーから言われた言葉が、原氏の腹の底に鎮座しているという。
「高級旅館に泊まると、飯茶碗はすごく軽くて小さくて薄い。でも、僕の感覚からすると、毎日使う飯茶碗はもう少し厚みがあって、平たい。その方が安定感もあるし、よそったご飯がうまそうに見える」
日常は生活の基本。
「生きる」を支える器は、繊細すぎるよりどっしりと腰のすわったほうがいい。
人もモノも空間も。
日常をよりよくしていく、より快適にすごせるように改良を重ね、「生きること」に馴染ませてゆく。
それこそが、デザインの基本。
生きることへの誠意の表れ。
ハレの日はハレを味わい、ケの日はケを楽しもう。
(180330 第417回)