人は木を植える。木は手紙だからだ
ずっと前にも紹介したことがあった。詩人の長田弘。樹を愛し、自然を愛した彼の言葉はやさしい。晩年に近づくほど樹への愛着は増し、詩やエッセイにつづられる樹との思い出はまるで、大切な人との交換であるかのよう。この言葉もそのひとつ。
人知れず荒野で木を植え続けた男がいた。
エルゼアール・ブフィエ。
彼のおかげで、森も人も再生してゆく。
ジャン・ジオノの『樹を植えた男』の話だ。
4000万本の木を植えた男がいる。
生態学者の宮脇昭氏。
瀕死の森を再生すべく、今も木を植え続けている。
人はなぜ、木を植えるのだろう。
自然をとりもどすため?
地球を守るため?
そうだと思う。
けれど、それだけではない。
なぜなら人は、人生のさまざまな場面で木を仰ぎ見ようとするから。
ふだんは気にもとめない人でさえ、桜や紅葉の季節には目をとめる。
まだかまだかと待ちわびる姿はまるで、懐かしい人からの便りを待つ人のようでもあるし、忙しい毎日にすっかり忘れていたところへ突然便りが届いて驚いているようにも見える。
人生の岐路に立たされたとき、寂しさで打ちひしがれているとき、木は最高の友になる。
そっとよりそい、だまってそばにいてくれる。
それだけで、心は癒やされてゆく。
人が木を仰ぎ見るとき、そうやって同じように木の側で過ごした人からの手紙を受け取っているのかもしれない。
(180409 第420回)