腹が減ったら、何でもうまい
清水公照
故、東大寺長老の清水公照老師の言葉である。書画や陶芸などでも独特の味わいをみせ、書においては「今良寛」と、その人柄や精力的な布教活動からは「今弘法」との異名があったという。
腹が減ったら何でもうまいのは、当たり前じゃないか。
それのどこが「ちからのある言葉」なんだ!
と、思ったあなた。
まったく、そのとおり。
力なぞない。
かえってガクッと力が抜けたのではないか。
力が抜けてわかる、当たり前のありがたさ。
力がなくとも、当たり前をありがたいと思えるだけで立派なもの。
「腹が減ったら、何でもうまい」と、清水和尚は言った。
ドイツの青年から「無とか空という思想はどういう意味か?」と問われて、そう答えたのだ。
「〝無〟とか〝空〟を形而上学的には、むずかしいことを言う。ずばり言えば『腹が減ったら、何でもうまい』でしょう。自分が何かを持っていると喜びがわいてきません。無我になると、世界が一変するのです」
満たされすぎると、当たり前のありがたさに気づきづらい。
料理人の苦手とするものは、満腹している客だというが、それはそうだろう。
腕のふるいどころがないのだから。
是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無や空の中にある自由と真実は、空っぽになってはじめてわかる。
(180425 第424回)