思考は矢のように、放たれたら的を射る。注意しないと自分の放った矢で倒れることになる
ネイティブ・インディアン、ナホバ族に伝わる言葉のひとつ。以前にもインディアンの格言を取り上げたが、自然のままに生きる彼らは同じ人間ではあっても、より大いなる存在「サムシング・グレート」に近いところにいるような気がする。見えざる力から受け取るセンサーが研ぎ澄まされているのだろう。本来は、誰もがそうであるはずなのだけれど…。
思考というのはやっかいである。
放っておくと、ああでもないこうでもないと、勝手気ままに歩き出す。
考えれば考えるほど迷宮に入りこむことになるのだ。
それもそのはず。
『広辞苑』によると、「思う」の定義のひとつに「心に感ずる」とあった。
「物事の条理・内容を分別するために心を動かす」ことが「思う」なのだと。
つまり、「心」という不確かなものに頼りすぎていると自分の首を絞めるよ、とナホバ族は言っているのだろう。
思考することは悪いことじゃない。
思考して導き出された答えが絶対だと思ってはいけないのだ。
思考するなら、出てきた答えを熟考する。
熟考するためには、思考している自分を見つめる、もう一人の自分の存在が必要になる。
とにもかくにも、安易に思考するだけなら、まずは体を動かしたほうがいい。
手先、足先の動きはダイレクトに脳へ届く。
快活になった脳にサムシング・グレートが閃きを届けてくれるにちがいない。
(180506 第427回)