空気は世界最大の図書館である
ベルギー人ピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフの詩の一文である。ピアニストでありながら詩人であり作家である彼は、静寂をこよなく愛する。沈黙を語らせれば右にでる者はいないのではないだろうか。無の中にある有を見つめ、沈黙の中にある言葉をかき集めた詩集『乾いた沈黙』より抜粋した。
詩の断片を紹介しよう。
「偉大な芸術家だけが自分の原稿を焼き捨てる
ことばは残っている 空気の中に
それを焼き捨てることはできない
『空気は世界最大の図書館である』
わたしは詩の一行にこう刻んだ
しかも この図書館は破壊できない……」
原稿だけではない。
空気の中に、どれほどの言葉が吐き捨てられていることだろう。
つぶやき、感嘆、ためいき、罵声に歓喜……。
吐き出された言葉のかけらは、空気中を漂い、どこかのだれかの記憶へと落ちてゆく。
沈黙の中に、無数の言葉の断片がある。
沈黙は語る。
言葉以上に。
本当に空気が読める人というのは、場の空気だけではなく、沈黙を読める人、音のないところの音を聞く、沈黙に耳を傾けられる人だと思う。
空気の図書館には、どんな言葉が収蔵されているだろう。
いい言葉だろうか、美しい言葉ならなおいいのだが。
ユーモアのある言葉や、多少の毒舌はスパイスになる。
雑音や騒音に溢れかえる図書館は居心地が悪い。
図書館は知性溢れる深淵な言葉の森であってほしい。
一度吐き出され、収蔵されてしまった言葉をなかったことにするのはむずかしい。
そのことを思えば、書き言葉や話し言葉、一語一句に注意を払う必要がある。
空気の図書館から、どんな言葉を選び取り、新たな言葉を収めているのか。
使う言葉で、その人のセンスが表れる。
沈黙に耳を傾けてみよう。
(180519 第431回)