何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある
詩人、長田弘の詩の一文である。詩集『詩の樹の下で』の中におさめられている「静かな木」という詩にあった。文字を追いながら頭の中にその情景が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく途中に、ばったり出会って立ち止まった。そして立ちつくす。今は亡き長田弘の、言う術のない言葉を聞いたような気がした。
言いたくても言わない。
押し黙った沈黙は、ときに息苦しさを感じる。
何かを我慢しているからだろう。
何も言わないのは、何かに気づいてほしいから。
言葉にしない言葉を聞いてほしいからではないか。
それはそれで、いいときもある。
だけど、本当に伝えたいことがあるなら、言ったほうがいい。
言いたい言葉をもっているなら。
人の話を聞いたり、本や何かの文章を読んでいると、「そうか、そう言えばいいのか」と思うときがある。
「いいこと言うな」と。
それ以上に、言いたくても言えない、伝える言葉が見つからないときほど歯がゆいことはない。
それでもときどき思うのだ。
言う術をもたない者たちは、何を伝えたがっているだろうと。
じっと立っている樹や、道ばたに咲く草花、今はもういない亡き人たち、風や雲や海や空は、たくさん伝えたいことがあるんじゃないかと。
本当に大切なことは、言わないのじゃなく、言えないんだと、ときどき思うことがある。
(180525 第433回)