登るとは、距離を置いて仰ぎ見ることであり、リスペクトすることである。降りていくとは、物質と近づき、交わることである
木の建築家として知られる隈研吾氏の言葉である。自然素材を使った隈氏の建築は、空間にさからわない優しさがある。その土地の環境や文化に溶け込むように作られているからだろう。2020年の東京オリンピック、パラリンピックの舞台になる新国立競技場が彼のデザイン案になって良かったと、あらためてそう思う。
人はなぜ山に登るのか。
イギリスの登山家、ジョージ・マロリーは「そこに山があるから」と言った。
その言葉に哲学的な意味があるかどうかは問題ではない。
ただ、憧れる山があるから、そこに行きたいと思う。
遠くから眺めているより、近づけば近づくほど、山の大きさに息を呑む。
仰ぎ見る山はあまりに大きく、本当に登りきれるかと不安がよぎる。
そんな不安をよそに、山は泰然と鎮座する。
その大きな懐に抱かれたいと、人は山に登るのかもしれない。
山は登るときより、下山するときのほうが疲れるし危険も伴う。
それまでの疲労と油断があるのだろう。
しばらく歩くと足がからまり、思うように足を出せなくなる。
体力が残っていても、ひょいひょい勢いよく歩いていると、思わぬところで足を掬われる。
山の頂きに向かえば向かうほど、空は近くなる。
羽ばたく日を夢見る小鳥のように、天空を仰ぎ見て登ってゆく。
しかし、いつか山を下りねばならないときがくる。
生き物たちが生息する場所へ、戻ってゆくのだ。
近づき、交わることで新しい何かが生まれる場所へ。
そして、土へと還ってゆく。
(180528 第434回)