キチンと暮らすには、愛をもって生活全体にアイロンをかけるような手間が必要だ
書籍の装幀や挿画を数多く手がける銅版画家、山本容子さんの言葉をひとつ。女性ファンが多いという彼女の作品は、都会的で洗練された大人のセンスを感じさせる。絵画に音楽や詩を融合させるジャンルを超えた独自のスタイルも、憧れる要素のひとつだろう。絵はもちろん、彼女の書く文章も軽妙洒脱でセンスがいい。
てまひまを惜しまないことが、キチンと暮らす秘訣だというのはわかる。
しかし、なんて素敵な言葉だろう。
「愛をもって生活全体にアイロンをかける」とは。
洗いざらしのシャツも、センス良く着られればいいのだが、たいていの場合、くたびれたような、だらしない印象を与える。
歳を重ねれば重ねるほど、洗いざらしのシャツの着こなしはむずかしい。
ダメージのブルージンズや洗いざらしのシャツは、一歩間違えるとただのだらしない、いけてない人になってしまう。
「キチンと」や「ていねい」は、なぜか歳を重ねたほうがしっくりとくる。
成熟した大人の特権だ。
反対に、若者は「キチンと」や「ていねい」よりもむしろ、「ダメージ」や「洗いざらし」のイージーなくらいがちょうどいい。
成熟度が増すと、暮らしに「キチンと」や「ていねい」を求めるようになるのかもしれない。
昔は窮屈だったそれも、心地よく思えるようになるのだから不思議。
シワをのばしながらていねいにアイロンをかける時間は、まるで一服の茶をたてるときのように心はしんと静まる。
静けさを求めれば求めるほど「キチンと」や「ていねい」が恋しくなる。
ピシッとアイロンをかけたシャツを着ていると、なぜだか背筋が伸びる。
シワのない、張りのあるシャツを着こなしている人は美しい。
暮らしぶりも、きっとそんな風なのにちがいない。
ときには洗いざらしで肩の力を抜いて、ときには愛をもってキチンとアイロンをかける。
メリハリのある暮らしこそ、「ていねい」に生きるということなんだろう。
(180612 第439回)