道草によって「道」の味がわかる
河合隼雄
何度か取り上げたことがある。臨床心理学者の河合隼雄氏の言葉を、いまひとつ紹介しよう。逝去されて11年が経つ。七福神の布袋さんのような笑顔で、多くの人の心を救ってこられた。混迷する今の世だからこそ、氏の救いの手を必要とする人は多いのではないか。ふたたび著書『こころの処方箋』から抜粋した。
子供にとって道草ほど楽しいものはない。
草花に魅せられたり、虫を追いかけたり、見知らぬ家の庭を覗き込んだりと、目的地への道のりは長い。
それでも子供は気にしない。
地図を持たずに町を歩くと、思わぬ発見や驚きがある。
ここを曲がると何があるのだろう、こんなところにこんなものが・・・と未知の世界にわくわくどきどきする。
人生を振り返ったとき、「あのときがあったから今がある」と思えることは、だれでもひとつやふたつはあるだろう。
点はいつか線になる。
だとしたら、まっすぐなだけの道よりも、くねくねと曲がった道のほうが、眺めもいいし味わいもある。
もしも今、すすむべき道から外れていたとしても、それは人生においての道草だと思えばいい。
子供の道草がそうであるように、あるいは地図なしの町歩きがそうであるように、人生という道のりには何がおこるかわからない。
わからないからおもしろい。
(180807 第457回)