素直な心を養い高めていけば、物事にゆきづまるということも少なくなっていく
ふたたび松下幸之助翁の言葉を紹介。この言葉どおり、ふとしたきっかけでいきづまりそうになったとき、松下幸之助翁の書籍に手が伸びる。あり得ないほどの猛暑日がつづくと、思考も熱に浮かされるのか、判断力も鈍る。そんなときこそ、清流のように涼やかで清らかな言葉を心に留め置きたいものである。
心がかたくなになると、思考も柔軟性を失う。
やわらかさを失った思考は一方通行になる。
コインに裏表があるように、あるいはコップを横から見るのと下から見るのとではまるで形が違うように、物事には見る角度によって見え方はぜんぜん違う。
物事にいきづまったとき、見る角度を変えてみれば、きっと抜け道は見つかる。
たとえ八方塞がりであったとしても、見上げれば天空は広がっているし、見下ろせば大地がしっかりと支えてくれている。
いろいろな角度から物事を捉えられるのは、頭がやわらかい証拠。
そのやわらかさは素直であるがゆえのことだ、と松下幸之助翁は言う。
「素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である」
素直さとは柔軟性のこと。
本来、人間は素直な心が備わっている。
ただ、成長の過程で忘れてしまっているだけ。
生まれたままの赤ん坊は純真無垢で素直さの塊ではあるけれど、成長するにしたがって知恵をつけていき社会で生きていく術を覚え、素直さも純真さも忘れてゆくのだろう。
成長することはいいことだ。
しかし、折を見て、素直さを忘れていないかと振り返ることも必要ではないか。
やわらかさというのは、生きているあかしであり、命そのものである。
人も草木も動物も、死に向かうほど硬くなるのだから。
(180810 第458回)