所作を美しくすれば、心も美しくなります
曹洞宗徳雄山建功寺住職であり、庭園デザイナーの枡野俊明氏の言葉を紹介。多摩美術大学の教授でもある升野氏は、禅の教えを説いた書籍も数多く出しているが、そのどれもが現代人にもわかりやすい。枡野氏によると、禅と日常はかけはなれたものではないからこそ、伝わる人にはちゃんと伝わるし、情報化社会の現代においてはよりいっそう心の拠り所として禅を求める人が多くなっているという。
コロコロと動き回る心を、じっと押さえつけることはむずかしい。
心に決めた! といっても、次の瞬間、何かに心が持っていかれることもある。
そんなあやふやな心を手なずけるのは、至難の技。
目に見えない心を「整えなさい」といくら口で言ったって、そう簡単にはいかないのだ。
では、どうすれば自分の心をコントロールできるのか。
「心に比べ、目に見える所作は、整えるのが比較的やさしい。まず、“形としての所作”を整えれば、自然に心も整います」
だから、所作を美しくすれば心も美しくなるのだ、と枡野氏は言う。
普段着のときと正装しているときでは立ち居振る舞いが違うように、心は身につけているものによっても変化する。
心と体はつながっているのだから、行動である所作は内面の心を映し出す鏡だということ。
心が先か、体が先かと問われれば、体が先だとはっきり言おう。
明治の軍医であり食養を唱えた石塚左玄も言っている。
「食は本なり。体は末なり。心はそのまた末なり」と。
心の乱れは体の乱れ。
体の乱れは食の乱れ。
本当に美しい言葉や所作というのは、相手を敬う礼儀礼節のある姿。
生活を正し、体が整えば、自ずと言動も美しくなるはず。
(180816 第460回)