君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る
『論語』里仁第四、十六章がこれ。「君子喩於義。小人喩於利」である。孔子の考える、欲望に対する品格を表している。
欲望にはきりがない。
放っておくと、良くも悪くも我を忘れて貪ってしまう。
だからといって、欲望そのものが悪いわけではない。
生きている限り、欲望はつきまとう。
そもそも生きようとする体の反応自体、欲望そのものなのだから。
本来、悪いものではないはずの欲望が、なぜ悪者になってしまうのか。
それは、「利」の置き所、取り扱いが難しいからではないか。
お金を稼ぐのが上手い人はたくさんいるが、お金を上手に使える人はそれほどいない。
お金の使い方に、その人の品性が表れる。
品のある人は、むやみやたらに使わないし、かといってケチるわけでもなく、必要なときに必要な分をスマートに使う。
君子と小人の違いは、品があるかどうかなのだろう。
東洋思想研究家の田口佳史氏の著書『論語の一言』に、欲望には大きく分けて二種類の願望が潜んでいると書いてあった。
ひとつは、「周りの幸せのために貢献し、自分も悦びに満たされたい」という願望。
もうひとつは、「自分がいい思いをしたい」という願望。
前者が「義」で、後者が「利」だと。
人間は弱い生き物だからこそ「利」に負けやすい。
君子のように「世のため人のため」とはいかなくとも、本当に大切なたった一人のためだけでもいい。
その人の幸せを願って貢献すれば、それは「義」になる。
「この人のために」はやがて、「多くの人のために」なるはずだ。
(180929 第474回)