俳諧に古人なし、ただ後世の人を恐る
『奥の細道』で有名な松尾芭蕉が、弟子の去来に宛てた言葉である。禅を学び、後に日本各地を旅しながら俳句を詠んだ芭蕉は、弟子たちに俳諧の本質は「不易流行」であることを語ったという。つまり、こういうことだと、芭蕉は去来に伝えたのだろう。
ー この道や ゆく人なしに 秋の暮れ
芭蕉が晩年に読んだ句である。
生涯を賭けて追求してきた俳諧の道も、芭蕉にとっては秋の夕暮れのように寂寥たるものだったのだろう。
多くの門人はいれど、心を同じくして歩む俳人はいないという孤独感が見て取れる。
志をもって生きることが大事だといわれる。
志があれば、道を外れることも迷うこともないのかもしれない。
しかし、その志はどこを指標とすればいいのか。
ある漆職人が、目標としている人はいるかと訊かれてこう応えた。
「美術品として残っている漆器は、本当にすばらしい。昔の職人たちの技術はすごいです。僕が作った漆器も、いつかはそうやって見られると思う。僕が今、昔の職人たちをすごいと思うように、未来の人たちがそう思ってくれると思うと、ヘタな仕事はできません。僕がいちばんこわいのは、未来の人たちです。未来の人たちに胸を張れる仕事をしたい」
人の一生など、たかが知れたもの。
一世の地位や名誉がいかほどのものか。
過去の偉人たちは、そうなろうと思ってやったのではない。
孤独に耐えながら粛々と本分を全うしたがゆえ、後世の人たちがその功績を讃えたからそうなっただけである。
時代とともに移り変わる常識や流行に流されていては軸が立たない。
かといって、伝統にしがみつくだけでは色褪せてゆく。
新しいものを生み出そうとすれば孤独はつきもの。
世間の目を気にするよりも、後世の人の目を気にしたほうがいい。
彼らの叱咤激励は、後世に伝え残せという応援歌に聞こえるにちがいない。
(181006 第476回)