われとわれに声かけてまた歩き出す
「分け入っても分け入っても青い山」で知られる種田山頭火の一句を紹介。季語や五・七・五調の定型を一切無視し、自然や心情を独自のリズムで読んだ自由律俳句は、俳句というより山頭火のつぶやきのよう。よそよそしさもなく、風の歌のように、ふとした瞬間耳に聞こえてくる。
われとわれに声かけて・・・。
「さあて、そろそろ行きますか・・・」
と言ったかどうかはわからないが、しばしの休息のあと、山頭火はふたたび歩き出したのだろう。
道を歩き続けるのは、ときに苦痛をともなう。
道なき道ならなおさらだ。
身も心も疲れきってしまうこともある。
だからこそ、休むことは必要。
体を休め、喉を潤し、ふーっと息をはく。
息を吐き出せば、自ずとすがすがしい空気が入ってくる。
体は正直だから、たまったものを吐き出したくて、いろんな方法で「疲れたよ」とSOSを出す。
病気も、イライラも、愚痴も、攻撃も、あるいは無気力も、表に出る症状は何かのサイン。
「おーい、主人公、起きてるか?」
と瑞巌和尚が、毎日自分に問いかけたように、
「おーい、自分、大丈夫か? 元気か? 生きてるか?」
と、毎日自分に問いかけてみてはどうか。
きっと、何か返事があるにちがいない。
歩き続けるために、きちんと休む。
休んだあとは、「おーい、そろそろ行くぞ」と自分に声をかけて歩き出す。
われとわれ(仏)は歩き続けたくて、エネルギー源の楽しみや休息を求めてくるのじゃないだろうか。
(181018 第480回)