好況よし、不況なおよし
経営の神様、松下幸之助翁の言葉を再び。これはあまりにも有名な言葉だから取り上げるのを躊躇したが、今の時代にこそふさわしい言葉だと思って取り上げた。彼の言葉はどれも普遍的で、これなど究極の至言だ。
「好況よし、不況なおよし」という考え方は禅的である。
たとえば、
晴れても雨が降っても、どんな日も良い日だという「日日是好日」。
今を生きるという「而今(にこん・じこん)」。
どの道も幸せに通じているという「大道通長安(だいどうちょうあんにつうず)」。
すべては移ろいでゆくという「山花開似錦 澗水湛如藍(さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし)」。
など、まだまだあるにちがいない。
好況なときや順境なときに喜ぶのは当然のこと。
ところが、不況や逆境を喜ぶことはなかなかむずかしい。
だから、人は悩む。
もがいて、あがいて、一刻も早くそこから抜け出そうとする。
けれど、その時間は、決して無駄ではない。
好況なときには気がつかなかったことに気づけるのだから。
ピンチはチャンス、ともいう。
そのことを、ピンチのときに思い出せるかが問題。
春夏秋冬という季節の中に、二十四節気や七十二候という細かやかな節目があるように、人の一生にも同じような節目はある。
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるのがこの世の摂理。
春には春の楽しみがある。
夏には夏の、秋には秋の、冬には冬にしかわからない喜びがある。
自然界の生き物は、みなそれぞれ個々の季節を生きているのだから、好況も不況も違いがあって当然。
ただ、その好況も不況も、誰の目から見てそうなのか、というのが重要だろう。
他の誰かや、過去の自分と比べているなら、それは浅はかというもの。
もっと大きな目、大きな存在からの視点ならばどうなのか。
「安(やす)くして而(しか)も能(よ)く懼(おそ)る。豈(あ)に難(かた)しと為さざらんや」
とは、『貞観政要』の一節。
好況のときほど危機感を持つことは大切だと説いている。
なぜか。
好い気になって周りが見えなくなってしまうから。
だからこそ「不況なおよし」なのだ。
(181205 第494回)