長い目で、今を生きろ
ちょっと前にも紹介した。エッセイストの森下典子さんの言葉をふたたび紹介しよう。これまた同じ『日日是好日』から抜粋。サブタイトルに「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」とあるから、どの言葉を拾いあげても格言になる。
「まえがき」は、こう締めくくられていた。
ー お茶を習い始めた時、どんなに頑張っても、自分が何をやっているのか何一つ見当もつかなかった。25年の間に段階的に見えてきて、今はなぜ、そうするのかおぼろげにわかる。
生きにくい時代を生きる時、真っ暗の中で自信を失った時、お茶は教えてくれる。
「長い目で、今を生きろ」と。
何かに取り組んでいるとき、なかなか成果がでないと人は焦る。
目指すものがあればなおさらだ。
単調な繰り返しほど、どんな意味があるのかわからないもの。
学生時代の授業がそうであったように、普段の生活において、まったく意味が見出せないようなことをしているときは、なぜこんなことをするのかと疑問に思うことだろう。
しかし、時間を経て振り返ってみると、「ああ、あれはそういうことだったのか」と、思うものだ。
点が線になるように、ひとつひとつの出来事は無意味に思えても、それが実は連なりのあるものだったとわかるのは、後々のこと。
なぜこの世に生まれてきたのか。
何のために生きるのか。
人生に意味を見出したいと願うのも人の心。
けれど、本当にその意味がわかるのは、人生も終盤になってからではないだろうか。
早くに何らかの結果を出した人も、依然、結果を出せずに悶々としている人も、それはそれなりの意味があるにちがいない。
だからこそ、今というこの瞬間を味わいつくそう。
「お茶」でなくてもいい。
ただ心静かに自然を感じてみてはどうか。
今を生きることが下手な人間に、自然は生き方の手本を見せてくれる。
人は忘れる生き物だから、ときどき立ち止まって思い出そう。
春に咲く花もあれば、冬に咲く花もあるということを。
(181215 第497回)