松という字は仲良いあいだ 君(公)と僕(木)との差し向かい
江戸時代に流行った都々逸(どどいつ)のひとつ。三味線の伴奏に合わせて7・7・7・5調で歌われた都々逸は、いわゆる男女の恋愛をうたった情歌である。それだけに人間の心理をついた詩が多い。捉え方しだいで、いくらでもなんとでも解釈できるのがいい。玄侑宗久氏の著書『禅語遊心』で知った。
めでたきものの象徴である松竹梅。
正月に家の門口に飾る門松は、古くから神の依代と考えられていた。
つまり、神が降臨するのを「待つ」のが「松」の木というわけだ。
松の木はガマン強いのだろう。
やせた土地や砂地でもしっかりと立っているし、極寒であっても緑は色褪せない。
松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)、である。
家族や友人知人など、老若男女問わず、末長く色褪せない関係を保つには「待つ」ことが大事だと、都々逸は歌う。
早朝、湾岸のほとりで遊ぶ一羽の海鵜を見た。
冷たい風が川面をゆらし、波立っていた。
鵜は、潜っては浮かび上がりとせわしない。
そのつど、浮き沈みに合わせて波紋が広がる。
周りにいる仲間の鵜は、波紋にもてあそばれるように、近づいては離れ、離れては近づき、彼(彼女)との間合いを取りかねていた(ように見えた)。
ふと思った。
そうか、人間も同じなんだと。
心の浮き沈みは、大なり小なり、周りに波紋をもたらす。
その浮き沈みが大きければ大きいほど、波紋は広く大きく周囲を飲み込んでゆくのにちがいない。
君と僕とが差し向かう時、近ければ近いほど陰陽の気はダイレクトに伝わる。
だからこそ、相手への思いやりは欠かせない。
相手の心がおさまるのを待つ。
自分の心がおさまるのを待つ。
待つことができれば、どんな感情にも支配されることはない。
新しい年のはじまり。
心機一転、急がば回れの心持ちで、どっしりと構えた松のように、待つことを楽しんでみてはいかがだろう。
もしかすると、神が降臨するかも……なんてね。
(190102 第501回)