葉っぱは見えるが根っこは見えない
広告の企画・制作と出版業を営む株式会社コンパス・ポイントの代表、髙久多美男の言葉。同社は本サイトの運営会社でもある。モットーの「多樂」そのままに人生を楽しんでいる彼は、「遊びも学びも仕事もみな同じ」と言い切る。類は友を呼ぶがごとく、彼の周りには同類の人種が集ってくる。ちなみに、本サイトの「多樂スパイス」と「死ぬまでに読むべき300冊の本」は髙久が執筆している。
目は見るために、耳は聞くためにある。
だから、樹が立っていれば、きらきらと輝く木漏れ日に目をうばわれるし、さわさわと鳴る葉音にも耳をもっていかれる。
親切にも、風や太陽は、樹がそこにいることを教えてくれる。
ちょっと意識を向ければ、風や太陽の力をかりなくとも、樹の存在を感じることはできる。
樹の姿も葉っぱも見えるのだから。
樹の姿は見えるものの、はたして根っこはどうなっているのか。
勢いよく土の奥深くまではりめぐらされているのか、それとも、大きな石に遮られているのか、はたまた虫食いにあっているのか、地上からは知るべくもない。
だがしかし、樹を支えているのは根っこだということを忘れてはいけない。
葉っぱも根っこも互いに支えあってはいるけれど、葉っぱは根っこなしには生まれなかったのだから。
『奇跡のりんご』の木村秋則さんが言うように、種から先にでるのは芽ではなく根っこなのだ。
目に見えるものの多くは、目に見えないものから生まれている。
だとすると、世の中に溢れている目に見えるものは、見えない感情や心情から生まれているのではないか。
地上にいるあらゆる生き物の内面がこの世界をつくっているのだとしたら、ちっぽけな人間ひとりでも変わることができれば、世界を動かすことも不可能ではない。
世界は広くて大きい。
それ以上に、人の心は時空をも超える。
「だから言っただろう?
ほんとうに大切なものは、目に見えないんだよ」
星の王子さまの声が聞こえてきそうだ。
※「葉っぱは見えるが根っこは見えない」と題された髙久多美男の集大成ともいえる思考集が今月21日、刊行される。詳しくは本サイトにてご覧ください。
(190113 第504回)