神仏に祈るほど真剣に
どれだけ彼の言葉を取り上げただろう。上げれば切りがないほどの至言を残した経営の神様、松下幸之助翁の言葉をもうひとつ。経営の神様だけに、嘘偽りのない神仏への忠誠心を表したような言葉だ。
なぜ人は祈るのだろう。
一体、何を願っているのだろう。
近年、寺社仏閣への参拝者が増えている。
老若男女問わず、普段から神仏へ祈りを捧げているという話をよく耳にする。
啓発本などの影響もあるのかもしれない。
理由がどうであれ、神仏へ頭を下げるのはいいことだと思う。
伝説のバンド、クイーンのヴォーカル、フレディー・マーキュリーの伝記を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしている。
ドラマティックな生涯を送ったフレディのカリスマ性や個性的な音楽がそうさせているのかもしれない。
フレディは、こんな言葉を残している。
「金で幸せは買えないが、それを与えることはできる」と。
実際、彼はプレゼント魔だったそうだ。
愛を乞う人であり、それ以上に愛を与える人だったとも。
神童と呼ばれたモーツァルトは、自然界に溢れる音を拾い集めて音楽にしたという。
彼の耳には、天が奏でる音楽が聞こえたのにちがいない。
無我夢中で取り組む姿は神々しい。
そうやって生まれたものだからだろうか。
時代を超えて残るものは、神仏と重なる。
きっと、神仏への捧げものなのだろう。
寺社仏閣に参拝することだけが祈りではない。
ほんとうに神仏への畏敬の念があるならば、我を忘れるくらい、何かに真剣に取り組もう。
真剣に生きることが、神仏への祈りになるはずだから。
(190204 第510回)