試験ができる秀才を何千人たばねても、一人のアインシュタインにはならない
ノーベル賞受賞者の物理学者、江崎玲於奈氏の言葉だ。ちょっと前に紹介した日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹から数えて4人目の人。どちらも日本が生んだ天才である。天才ゆえの言葉だからこそ、説得力がある。
世の中に秀才はごまんといる。
凡人はそれ以上にいるだろう。
凡人と秀才の違いはなにか。
おそらく、答えのある勉強ができて点数がとれる人を秀才と呼び、同じようにやっても点数がとれないのが凡人。
つまり、自頭がいい人は秀才肌なのだろう。
では、秀才と天才をわけるものはなにか。
アインシュタインは応えている。
「天才とは、努力する凡才のことである」
そう、凡人のなかに天才は潜んでいるのだ。
天才と凡人をわかつのは、努力をするか、しないかだけのこと。
いい点数を取るために勉強したとして、それがいったいどんな役に立つというのか。
次々と資格を取る「資格マニア」たちのなかに、どれだけそれを活かせている人はいるだろう。
アインシュタインは、好きなことに熱中し、あきらめず夢を追いつづけた。
湯川秀樹も、子供のころから物理が好き好きでたまらなかった。
父からは、
「学校の成績のために勉強するのは愚かなこと。好きな学問を深く学べ」
と諭されていたという。
江崎玲於奈は、蓄音機との出会いでエジソンに憧れた。
アインシュタインは、こうも言い残している。
「愚者と天才の違いは、天才には限度があるということだ」
天才と馬鹿は紙一重。
限界というものを知らず、ただひたすら答えのないものを追求してゆく愚かさこそ、天賦の才というもの。
愚かさのなかに才能の芽は眠っている。
愚かさは承知の上で、恥じることなく、やってみたいこと、心が騒ぐことを追求してみてはいかがだろう。
新しい発見がきっとあるはず。
(190222 第515回)