自己評価をしっかり持っていれば、どんな場合も人の言葉に振り回されずにすむ
何度か紹介したことがある。『幸福論』でおなじみ、カール・ヒルティの言葉をふたたび。「幸福とは与えられるものではなく、自らが感じることだ」と多くの幸福論者は説く。なかでもヒルティは、観念論に終始することなく、具体的な実践によるアプローチで幸福へと導く。
人はひとりでは生きていけない。
だからなのか。
他人からどう見られているかを気にする人は多い。
けれど、他人の視線や評価を気にしすぎると、自分の軸はぶれてしまう。
自分もそうであるように、人はつねに、新しいものやいいもの、琴線に触れるものを探し求めているのだから、その視線や評価は変わって当然。
そんなものを拠り所にして、ふらふらと移り気な言葉に振り回されていては、せっかくの有限な時間を無駄にする。
夜空を見上げて月に出会うと、なんとなくホッとする。
満月や三日月、上弦、下弦、新月と、その姿はいろいろだけど、どんな月も月は月で、それが無性に嬉しいのだ。
何年も、何百年も、何千年も昔から、ずっとそうやってそこにいるんだな、と思うだけで、ざわざわと波立そうになる心が、すーっと落ち着きを取り戻す。
月だけではない、樹齢何百年という老樹や、歴史ある芸術文化など、悠久の時を経て残っているものは、経年に耐えうるだけのゆるぎない強靭な軸があるのだろう。
包み込むような優しさや安心感があるのは、そのためか。
時代に流されない理由もわかる気がする。
水急不月流(みずきゅうにしてつきをながさず)。
川の水が急流であろうと、水面に映る月影は流れはしない。
どんなに視線や評価が移り気であろうと、自分という軸がしっかり立っていれば、決して流されることはない。
自分の軸を立てるための方法として、ひとつ、古いものや歴史あるものに触れてみてはどうか。
そうすれば、きっと軸は定まってゆくはず。
(190317 第522回)