風景は思想だ
今年2月、100歳の長寿をまっとうして旅立った日本画家の堀文子さん。いのちを描き続けた彼女の言葉をふたたび紹介しよう。41歳で夫と死別して以来、一人で世界中の各地を旅しながら絵を描き続けた孤高の画家は、文才も並外れて卓越していた。画文集「命といふもの」からの抜粋である。
戦後、様変わりしてゆく都会の風景を見て、堀さんは危機感を覚えたという。
川や森などの自然が姿を消し、冷たいコンクリートの都市になってしまったと。
あるのは、わずかに残る貧相な街路樹だけ。
かつてあったマロニエやプラタナスの並木は、もうない。
戦火で焼け野原となった東京の、60年後の姿である。
あれから14年。
東京の街は、新しいかたちで自然と共存しはじめた。
街路樹はかつての姿をとりもどし、緑の風が吹き抜ける。
ビルの屋上にある庭園、壁面のグリーンポット、花壇など、街のいたるところで緑化が進む。
2020年東京オリンピックの舞台となる国立競技場は、建築家の隈研吾氏のデザインによって、鎮守の森のような緑あふれる建物に。
人がいるところに街はできる。
人の姿が街になる。
「様々な国を旅して、『風景は思想だ』と私は確信した。風景は自然を取捨選択し、その国の人々が作り上げた作品なのだ」
冷たいコンクリートの塊と貧相な街路樹だけだったあのころ、人は自然と乖離していたのだろう。
人も自然の一部だというのに。
自然のない風景に、ぬくもりは感じられない。
人がいるところに風景はある。
人それぞれの思いが風景になる。
全体としても、個人としても。
だとしたら、
思い描く風景のなかに、はたしてわれわれはいるだろうか。
(190320 第523回)