気なる者は、虚にして物をもつ者なり
周さんこと荘周の言葉を紹介しよう。『荘子』の中の「心斎―虚心の説」の一文である。
心斎とは、「人間の感覚、意識を払拭して身体に宿る霊気によって万物の根本の理法と一体になること」と辞書にある。大阪の「心斎橋」は人の名前らしいが、何か関連はあるのだろうか。
この言葉には続きがある。
― 気なる者は、虚にして者をもつ者なり。
ただ道は虚に集まる。
虚なる者は心斎なり。
気というものは、みずからは空虚の状態であり、いっさいの物を受け入れる。
道というものは、この空虚にのみ集まってくる。
この心の空虚の状態が、心斎である。
長く生きていれば、知識や知恵が豊富で頭も硬くなってしまうのは当然だろう。
新しい世代の考え方ややり方に違和感を覚えたり、着いていくのがしんどくなるのも無理はない。
だからといって、いつまでも「オレさま」気取りは通用しない。
時間は刻々とすぎ、世界は常に変化しているのだ。
この世はすべて生々流転。
パワースポットと呼ばれる場所は、空気がいい。
気の流れているところは人も物も集まってくる。
循環がいいのだろう。
植物や昆虫、野生動物などの生態系が守られている場所に悪い場所はない。
空間は、動くものによって新鮮さが保たれる。
老子も言っているように、虚空は万物を生み続けるということだ。
空間がぎゅうぎゅうにつまっていては、入るものも入らず、流れるものも流れない。
空っぽであれば、出入りは自由。
ほおっておけば、どんどんゴミが溜まる一方。
ときどき心と体を一掃しよう。
ほんとうに必要なものだけが集まってくるはずですよ。
(190521 第541回)