危機の中で人は成長し、危機の中で人は本物になる
「念ずれば花ひらく」で知られる坂村真民の言葉である。一遍上人の生き方に共感したという坂村は、一遍上人の生まれ故郷である愛媛県に移り住み、「たんぽぽ堂」と称する家で詩作に励んでいた。毎朝1時に起床し、近くの川で祈りを捧げるのが日課だったという。「癒しの詩人」と言われるだけあって紡ぐ言葉は優しさに満ちているが、それは単に耳に心地いいという言葉ではなく、真の愛に満ちた、厳しさの伴う言葉である。
自然界の生き物は、常に生命の危機に脅かされている。
生と死は隣り合わせにあり、生きるか死ぬかの生存競争が繰り広げられている。
腹をすかせた肉食獣たちは、獲物を獲るために知恵をしぼり、
追われる草食動物もまた、生き延びるための知恵を働かせる。
動かない生物である植物たちは、動く生物の力を借りて種を蒔き、
身に危険が及ぶと、周りに危険を知らせる物質をだしながら、種の保存に務める。
断食で空腹になると、感覚が研ぎ澄まされるのも、身体が生命の危機を感じているからだろう。
体内に溜まった毒素が排出されると、体は正常に機能しはじめる。
大病を患った人が不変の真理をつかみ、大業を成すということはよく聞く話。
どれもこれも、「危機」との遭遇によって引き出された本来の生命力である。
安穏とした中で成長するのは、至難の技といっていい。
暖かな春の日差しに癒されるのも、厳しい冬の寒さに身を震わせたからこそ。
歴史を紐解けば、危機感の有るか無しかがその後の命運を分けている。
今一度、古今東西の歴史書を開いてみてほしい。
危機感を覚えない戦は負け戦になることを、膨大な歴史が教えてくれるはずだ。
(190528 第543回)