道徳は破るためにある
以前にも何度か紹介したことがある。知る人ぞ知る実業家の執行草舟氏の言葉をふたたび紹介しよう。あまりに激烈な言葉ゆえ、反感を買うこと承知のうえで取り上げた。「なんてことを!」と憤慨至極の人たちに、ちょっとまった、と手をあげたい。詳しくは、著書『悲願へ 松下幸之助と現代』をどうぞ。
昨今の、非人道的事件の多さに背筋が凍る思いである。
いつから人は、人でなくなったのだろう。
そもそもこの世に生まれてきた時は、だれもがみな、無害で愛に溢れた生き物だった。
ところが成長の過程で何かが狂い、人間の皮をかぶった鬼に変貌する人たちが出た。
その過程に、いったい何があったのか。
おそらく、無償の愛を与えられなかったのだろう。
あるいは、愛された記憶がないのかもしれない。
愛情の欠如は、その後の成長を決定的に左右する。
これは、人間だけではなく、他の生き物も同様である。
しかし、人の成長を左右するのはそれだけではない。
愛されてはいても、間違った愛情の中で育てば、性根はゆがむ。
いき過ぎた愛情は、健やかに成長しようとする芽を阻害する。
必要なのは、生命力を信じ、見守り、必要なときに手を差し伸べることではないか。
そこで求められるのが道徳教育。
人として、なにが善くてなにが悪いかを知り、思いやりや生命の大切さを幼いうちに学ぶこと。
そのなかには、身をもって痛みを知ることが含まれる。
遊びを通して痛みを知り、生命の大切さを学んでゆく。
広く深く大地に根を張るために、真の愛と、気骨をつくる道徳という支柱は欠かせない。
愛と道徳を身につけたあとは、次なるステージ。
道徳を破る。
守破離の「破」である。
「道徳は破るためにあるのです。怒る人がいるかもしれませんが、ここが重要なのです。道徳というのはもちろん、まず学ばなければ駄目です。または、躾で教わらなくては話にならない。しかし、それを破ることも重要なのです。すべて自己責任においてです」
身につけた道徳を破り、破った自分を反省し罰するのが人生だと、執行氏は言葉を継ぐ。
やんちゃだった人が、その後に改心し、ひとかどの人になっていくことはよくある。
彼らは、守破離の「離」に達した人。
生真面目に道徳だけを守るのもいいが、その先を目指してみてはどうか。
きっと見える世界が変わりますよ。
(190531 第544回)