自分が葉であるとともに木でもあると知ること
ふたたび岡潔の言葉を紹介しよう。彼の本を開くと、宇宙に引き込まれるような感覚になる。数学者だからか、この世の真理をつかんだ言葉が多い。夜空にきらめく星々が言の葉になって散りばめられているようだ。むずかしいことは書いていない。情緒をもってさえいれば、すとんと胃の腑に落ちるはず。
孤独感、孤立感を感じる人が年々増えているという。
趣味趣向が似た仲間が集まるコミュニティも少しずつ増えているようだが、それでも孤独感は埋まらない人もいるようだ。
誰かと一緒にいるかいないかは関係ない。
心に安寧があれば、一人でいても、誰といても、楽しめる。
孤独に思うのは、自分のことしか考えられないからではないか。
わかってほしい、認めてほしいと思うなら、まずは周りを認めよう。
相手のことをわかろうとする努力をしよう。
なぜなら、相手は自分の写し鏡だから。
身近であればあるほど、相手は自分の心を映し出す。
「葉は木そのものではない。が、木がなければ葉もあり得ない。葉が常に木とともにあるのと同じように、人もまた〝全体から切り離されない個体〟だ」
岡潔はそう語る。
自然から離れてしまうと、人も自然の一部だということを忘れてしまう。
自分が、自分が、と我を張るのは、自然の理に反することだ。
葉っぱは木があるから生まれるのであり、木は葉っぱに守られている。
木から離れた葉っぱは枯れるし、枝葉を切り落とした木は、蝕まれていく。
木は葉っぱを生かし、葉っぱは木を生かしている。
太陽の光や、風や雨の中でいきいきと生きる植物たちは、葉も幹も互いに生かし生かされていることを知っている。
一枚は全体のために、全体は一枚のために。
自分は個であるとともに、全体なのだ。
(190615 第548回)