花一輪に飼い慣らされていく
大徳寺住職、前田昌道老師の言葉だ。茶事の出張料理人である半澤鶴子さんが、旅の道中で大徳寺を訪れ、老師に悩みを打ち明けたときに語られた言葉である。数年前にNHKで放送された「女ひとり70歳の茶事行脚」という番組の中での一コマだ。
憧れの千利休のように最高のおもてなしをしたいと願う半澤さん。
しかし、老いて思うようにいかない我が身がもどかしく、口惜しいと涙する。
心とは裏腹に、体の衰えは容赦ないことを思い知る。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……。
諸行無常の儚さは、生きとし生けるものの定めである。
ありのままに咲き生きて、
ありのままに散ってゆく、
花一輪の美しさ。
愛でられたいとも、気づかれたいとも、何を求めるわけではなく、
その地、その場所に生まれたことを喜び、命を輝かせて生きている。
その一生に宇宙の真理を見、飾らないありのままの花の姿に、人は心癒されるのだ。
「思うように、いかへんのや…」
消え入りそうな声で、涙ながらに胸の内を吐露する半澤さん。
「花一輪に飼いならされていったらええ」と、前田老師。
その瞬間、半澤さんに笑顔の花が咲いた。
まるで、釈迦が差し出した一本の花で、すべてを悟った迦葉のようであった。
余計なことはしなくていい。
その場、その地にあることを感じとって、
その時、その身でできることを、
精一杯、心つくしてやればいい。
ありのままの花の美しさを思えば、
何もわずらうことはない。
今の自分、今という時をそのまま受け止め、できることを一生懸命やっていれば、求めずとも求められる花のような、飾らないありのままの一生をおくることができる。
前田老師はそう言いたかったのだろうか。
(190621 第550回)