危機管理とは、考えられないこと、あるいは考えたくないことを考えることである
こんな人がいたとは知らなかった。1972年に沖縄が日本に返還されたとき、佐藤栄作首相の「密使」として日米間を奔走し、交渉を成し遂げた影の立役者こそ、若泉敬氏である。
国際政治学者で、防衛庁防衛研究所の所員だった若泉氏は、当時、国家安全保障担当大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーとの激しい交渉の末、日本側にとって極限の条件を飲むことで沖縄の返還を成立させた。苦渋の決断に至った理由が、この言葉に表れている。廣池学院モラロジー研究所理事長、廣池幹堂氏の著書『人生の名言・歴史の金言』から抜粋した。
誰しも、現状から遠くかけ離れたことを引き寄せて考えることは難しい。
平穏無事で暮らしていれば、なおさらである。
まさか、そんなことはありえない……と、
自分や身近な人の身の上だけは安全が保証されているものと思いがちだ。
ところが、世の中そんなに甘くはない。
光が万物に満遍なく行き渡っているように、影も背中合わせに行き渡っている。
いつなんどき、光と影が入れ替わるやもしれないのがこの世の条理。
光の温もりに安穏としていると、それが当たり前になり、緊急の事態に身動きがとれなくなってしまう。
便利な生活に慣れ親しんだ体は、本来の機能を衰えさせるから要注意。
安心、安全はどこにもない。
もしも……と考えることが、身を守る最善の方策。
危機というのは、考えられない、考えたくもないことが起こるからそういうのであって、最初から考えられることであれば、危機とは言わない。
若泉氏は返還交渉のあと、政治から離れ学究生活を送ったというが、尽力したあとの日本のあり方があまりに堕落したことに暗澹たる思いを募らせていたようだ。
「戦後の日本人は、危機管理など考えたくないことには目をつぶり、耳をふさいできた。そしてきれいごとを言って、耳に心地よいことばかり追い求めている。まるで愚者の楽園であり、精神的・文化的に根なし草に陥ってしまったようなものである」
他国に守られた平和を享受しながら、それを忘れて多くの国民が拝金主義に陥り、かつての日本人が持っていた道徳心や高潔な魂が失われたのではないか、と。
当たり前なことなど何一つない。
屋根の下で眠れることも、ご飯が食べられることも、呼吸ができることも。
最低限、自分の身は自分で守るという意識は持っていたい。
(190704 第554回)