飽きるのは自分の成長が止まっているからだ
ちょっと前にも紹介した。ニーチェの言葉をもうひとつ。格言、至言の多いニーチェだから、ひっかかる言葉は人それぞれだろう。しかしこの言葉には、どきっとした。飽きっぽい性格には痛い一言である。
ちょっとかじっては、また次へ。
好奇心旺盛なのか、それとも飽きっぽいのか。
どんなことも長く続かないと嘆く人は、けっこう多い。
あれもこれもと移り気なのは、性格だと思っていたら、どうやらそうとも言えないらしい。
哲学者ニーチェはこう分析する。
「飽きるのは自分の成長が止まっているから」と。
人は、なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなる。
ところが、いったん自分のものとなり、時間がたつとつまらないものと感じ始める。
それは、慣れてしまったから飽きるのではなく、実は、自分の中で変化しないから飽きるのだ、とニーチェは言う。
「そのものに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。自分自身が成長しない人ほど飽きやすい。
人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ」
たしかにそのとおり、と思う反面、
でも、成長したらしたで、もっているもの以上のものを求めることもあるんじゃない?
と、反論する気持ちもなきにしもあらず…。
成長のあとの新たな欲求は悪いことではない。
成長もしていないのに、次から次へ新しい何かを求めることをニーチェは戒めるのだ。
三日坊主も、あと一日、とりあえずもう一日と続けていれば、いつのまにか一週間、一ヶ月、一年と積み重なっていく。
続けていくうちに、続けるための工夫を凝らすようになるだろう。
同じ味では味気ないから、何かを足してみたり、違う角度から見てみたり。
創意工夫とはそういうもの。
成長するのはそういうとき。
モノでも人でも、飽きるのはカンタン。
足るを知れば、成長という富が得られる。
モノはもちろん、自分に飽きたら成長は止まる。
誰かや何かに期待するより、手にしているものや自分自身に期待してみよう。
新しい発見にワクワクしますよ。
(190711 第556回)