保守が歴史を重んじるのは過去を知りたいからではない。現在を、そして未来を知りたいからである
『静かなる大恐慌』の著者である京都大学大学院准教授の柴山桂太氏の言葉である。政治学者としても知られる柴山氏は、現代のグローバル化に対し20年以上も前から警鐘を鳴らし続けている人物。今後は「脱グローバル化」が進むだろうと予見している。この言葉は、西部邁氏の『保守思想のための39章』の巻末に柴山氏が寄せた解説文にあった。
現代の世界経済危機や戦前の大恐慌の問題の根っこには、いずれも「グローバル化」が存在していると指摘する柴山氏。あるインタビューで、その根拠を語っている。
―― グローバル化というと、日本人はポジティブな面ばかり見る傾向がある。
しかし、世界が密接に結びついた資本移動の激しい時代の経済は、非常に不安定で脆弱。
ある国でバブルが起きれば、そこに資金は一気に流れ込むため、急激に、大規模にバブルは膨らむ。
ところがそれがはじけたら、一気に破裂し、国境を超えて深刻な経済危機の連鎖がはじまる。
さらに、世界的な恐慌を引き起こすだけでなく、急激な経済の崩壊は、国家間の対立にまで発展する。
柴山氏は、1990年代終わり頃からこう感じていたそうだ。
日本が本格的にグローバル化に入ったのは、2000年代に入ってから。
現在の世界情勢は、まさに柴山氏の予見どおりだろう。
茶人の千宗屋氏は、新しい茶の湯を提案する革新派として知られている。
だが、本人はあくまでも自分は「保守の王道」だと言ってはばからない。
なぜなら、
何か新しいことに取り組むときは、いつも
「もしも利休さんがいまの時代に生きていたら、どうしていただろう?」
と考えるからだと。
もしも、今、過去のあの人が生きていたら…。
この時代に、何を、どう提案するだろう。
その繰り返しが、人類の歴史ではないだろうか。
過去の偉人たちもまた、さらに過去の偉人たちから学び、正すところは正し、生かすところは生かしたはず。
「生活のスタイルやあり方は、日々刻々と変わっていきます。となれば、本質を守ろうとすればするほど、変化していく現代の暮らしに寄り添い、関わっていくために、姿や形は変わってくるのがむしろ当然なのではないでしょうか」
不易流行。
温故知新。
生命誕生から変わることなく再生と破壊を繰り返す生物の生態がそうであるように、
現在を生き、新しい未来を生きるために、伝統文化や歴史は盤石な指針になるはずだ。
(190717 第558回)