浪費家が無駄遣いをしても、持ち主が代わるだけのこと、… だが美は、無駄にすれば、この世から消えてしまうのだ
劇作家であったシェイクスピア。彼の残した膨大な作品が未だ古典劇として演じ続けられているのは、文明の発展によらず、いつの時代も人間は変わらない生き物であるという普遍の真理が垣間見えるからだろう。「ソネット集」を読めば、はっきりとそれがわかる。
お金というのは、所詮「モノ」。
そこに「価値」という魂がなければ、見向きもされない。
価値あるうちは、愛され、求められ、引く手数多だ。
老若男女、貧富の差異なく、どこの誰が、どうみても、魅力ある「モノ」ではないか。
一方、美というのは、つかみどころがない。
モノでもあるし、モノばかりでもない。
人によっても、場所や時代によっても、美は変わる。
価値あるうちの「モノ」は、場所を変え、人を変えても、そのものでありつづけることはできる。
ところが、つかみどころのない「美」は、繊細で気まぐれで、あまりに儚いがゆえ、ともすると「醜」に取って代わられることもある。
だから、シェイクスピアは言う。
「美」の取り扱いに注意せよ、と。
「浪費家が無駄遣いをしても、持ち主が代わるだけのこと。使われた金はこの世界にいつまでも残っている。
だが美は、無駄にすれば、この世から消えてしまうのだ。美は、有効に使わねば、元も子もなくなってしまう。
自分に対してこのようなひどい殺戮を行う人間には、他人を愛する気持ちなど心にもてるはずがない」
シュエイクスピアの言う「美」とは何か。
若さ(おそらく心身の)、優しさ、清らかさ、時間、能力、そして、愛。
美とは、生命そのものであるということ。
万人受けするものは、万人によって浮き沈みもし、溺れもする。
しかし、産まれながらにもつ唯一無二の「美」を愛し、大切に扱えば、浮き沈みも心地よい波のゆらぎとなるだろう。
(190805 第564回)