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紺碧の将

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

狂歌

 江戸中期、白河侯松平定信が行なった「寛政の改革」がわずか6年で幕を閉じたのは、民衆による強い反発によるものだった。厳しい財政改革が経済を停滞させ、文化も廃れさせたことが原因だった。たとえ腐敗政治だったとしても、生活も豊かで文化も花開いた以前の華やかな「田沼時代」が恋しいと、失脚した老中田沼意次を民衆は懐かしんだのだ。そのときに生まれた歌がこれだ。寛政の改革と田沼の腐敗政治をくらべて風刺した狂歌である。
 

 水清ければ魚棲まず。
 綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。
 太平洋のど真ん中は、濁りのない紺碧の海だけれど、「海の砂漠」と言われるほど魚はほとんどいないという。
 鮎は清流でなければ生きられないかと思いきや、清流すぎて鮎も棲めない川もあるのだとか。
 
 数年前、蚊によるデング熱が流行したとき、都内のあちこちの公園が閉鎖された。
 蚊の駆除のための殺虫剤が撒かれたが、その後、蚊どころか、昆虫や蛇など生息していた生き物がいなくなったそうだ。
 
 生き物は、綺麗すぎると生きられないように出来ているのだろう。
 魚がそうであるように、多少の汚れや濁りは外敵から身を守るには必要だし、食物連鎖のないところで生きていけるはずもない。
 
 綺麗好きが高じて、除菌や殺菌が日常的になると生命力は衰えるし、
 正しさも、度がすぎれば嫌味になる。
 
 清廉であろうとすればするほど、人は他人の醜穢に目が行きがちだが、
 自分はどれほどのものかと言いたくなる。
 かと言って、怠慢や極悪非道もよろしくない。
 
 堰き止めたり流したり、
 水も循環させてこそ生物に多様性が生まれる。
 財布の紐も、締めたり緩めたりして調整し、循環させなければ入ってくるものも入らないだろう。
 
 陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。
 なにごとも、ほどほどに。
 天地自然は、ほどほどのところでバランスを保っているのだから。

 

「美しい日本のことば」連載中

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(190813 第566回)

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