くふうや才気は、それを他に気づかせないところにあるのがいい
数回前に紹介した岡部伊都子の言葉をもうひとつ。出処は同じ。著書『観光バスの行かない……』より抜粋した。彼女の審美眼にはほれぼれする。
歳を重ねて気づくことがある。
ほんとうに「すごい人」というのは、目立たない。
人知れず、ひっそりと咲く花のように、
日の当たらない場所で、粛々と生を謳歌している。
彼らのはたらきは、けっして華美なものではないけれど、
人を和ませ、癒やし、なぐさめ、元気をくれる。
生き物は本来、そういう場所が好きなのだろう。
若いころは、きらびやかで華やかで、突飛なものに憧れるものの、
しだいしだいに、落ち着きのある、簡素なものに心惹かれる瞬間が多くなる。
そしてまた、ほんとうに美しいと思うものは、往々にしてシンプルだ。
モノも人も、あるいは思想、あるいは哲学。
良寛の書も、利休茶碗も、スティーブ・ジョブズのiPhoneも、
バッハもモーツアルトも、等伯もマティスも、禅も神社も、
出汁、コンソメスープ、おむすび等々。
どれもシンプルだけれど、簡単ではない。
シンプルなものほど、複雑、難解。
書も絵も料理も、どんなものも、
すべからく足せば足すほど、まずくなる。
しかしそれも、足してみなければわからないこと。
ある人が言った。
「最初はいろんなものを足していけばいいのです。そうして、足して足して、足したあとに、無駄で余計なものがわかるのです」
工夫や才気も、目につけば鼻につく。
わざとらしいシンプルは、ほんもののシンプルには程遠い。
良寛も、利休も、スティーブ・ジョブズもバッハもモーツアルトも、
だれもかれも、みんな最初は華美だった。
歳を重ね、経験を重ねて、はじめて気づく、シンプルの妙。
唯自然は、人知れず工夫や才気を凝らし、究極のシンプルを見せてくれる。
目立たず、静かに、粛々と生を謳歌しながら。
(190827 第570回)