枯れた花が若い枝に巻きつかれる。そんな人生には拍手を送りたいですね
いけばなの「たてはな」と「なげいれ」の探求、創作に邁進する花人、川瀬敏郎氏の言葉だ。「花は野にあるように」と、野に咲く花の姿そのままを切り取り花をいける。野から運ばれてきたにもかかわらず、家屋にいることを忘れたかのように、ひっそりと器に佇む花を見ると、命を慈しむことはこういうことかと感嘆する。花と言葉の写真集『一日一花』から抜粋した。
ローマングラス瓶に、ヘクソカズラに巻きつかれたタカサゴユリが一輪。
生命力あふれる若いヘクソカズラは、老いたタカサゴユリにしっかりと巻きついている。
まるで、ワルツでも踊るかのように。
川瀬氏の手にかかれば、黒く変色したタカサゴユリも、若葉がみずみずしいヘクソカズラに慕われ、愛されているように微笑ましく見える。
蔓性の植物は、そばにいる植物に巻きつき生気を奪うというが、
ヘクソカズラは生気を奪っているのではなく、タカサゴユリから与えられているのではないかと思ってしまう。
人の目の、勝手な解釈かもしれない。
けれど、花一輪、蔓ひとすじをつぶさに見れば、命の交換の歓びがわかる。
枯れゆくタカサゴユリは、ヘクソカズラという新しい命になって生まれ変わる。
若者に慕われ、愛される年配者は幸せだ。
長い人生で培ってきたものを、バトンタッチできるのだから。
時間をかけて手に入れたものも、次につなげなければないのと同じ。
命を分け与えるように、そばに寄り添い、頼りない命の支えとなれば、自らの命も輝くだろう。
老いたタカサゴユリは、ヘクソカズラという若さをまとって輝いている。
若い花は美しい。
けれど、枯れた花もそれ以上に美しくなれることを、老いたタカサゴユリは教えてくれる。
(190831 第571回)