賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由(よ)って出来(いでく)るものなり
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」の冒頭で始まる「学問のすすめ」。一万円札でお馴染み、福沢諭吉の代表作である本書にこの言葉があった。福沢はとにかく、学ぶことが人生の要諦だと説いた。いい人生を送りたければ、学ぶことが肝要だと。
どの国の、どんな場所の、どの親の元に生まれるのかは天の采配。
生まれ落ちたあと、どのような環境で育つかということも、自らの力ではどうすることもできない。
けれど、一般的な家庭に育ち、学校へ入るまでは、それほど一人ひとりの能力に大差はないはず。
よーいドン! で人生が始まり、それぞれがゴールに向かう。
山あり谷あり、でこぼこ砂利道、急カーブ、ゆるやかな道にまっすぐな道。
ゴールまでの道のりは人ぞれぞれだが、誰もが一度は通る道だろう。
みんな一斉に、よーいドン、で始まった道も、どんな風に歩くかでゴールの境地は変わる。
学生時代に成績優秀な人が、社会人になっても優秀かといったらそうとも言えず、
学生時代に落ちこぼれだったとしても、社会人になって頭角を表す人もいる。
その違いを、福沢は示す。
「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり」と。
子供のころの学び、学生時代の学び、社会人になってからの学び。
「学び」とひとことで言っても、学ぶ方法はいろいろあるけれど、
確実に身につき、骨格を形成するのは、自らすすんで学び続けたかどうか。
それが、人の一生を左右する。
時代がどんなに変わろうと、
人生のスタート地点の采配と、ゴール地点の境地の差異は変わらない。
「学ぶ」人と「学ばざる」人。
さて、あなたはどっちを選びますか?
(190909 第573回)