情報機器を使うことで自分のいらないものが日々わかる
大徳寺塔頭芳春院住職、秋吉則州和尚の言葉だ。掃除は禅宗の基本の「き」。悩める人ほど掃除せよと喝破する秋吉和尚の著書『日日是掃除』にあった。
情報化社会の現代になって、迷える人が多くなった。
情報が増えれば増えるほど、迷える人も増えてゆく。
だからこそ、禅が人気になったのだろう。
考えがまとまらない、ざわざわする心を鎮めたいと、「無心」を求めて禅を学ぶ。
禅の基本は「掃除」だという。
「日天掃除が我門の行事なり(禅僧の坊主は、毎日草取りと掃き掃除をせよ)」
塵を払い、曇りを磨く。
つぎつぎと芽を出す草を、残すものと残さないものを選り分ける。
美しく整った場所には、すがすがしい風が吹く。
清風佛無塵(せいふうはらいてちりなし)である。
物も情報も、あればあるほど散らかってゆく。
だから掃除をする。
いらないものを処分し、整理整頓するだけで、心は晴れやかになる。
部屋も綺麗になるし、心も落ち着く。
「日々たくさんの情報を得ますが、そのほとんどはいらないものです。削除したりゴミ箱に捨てたりするために、情報を得ているかのようです。
しかし、裏を返せば、情報機器を使うことで自分のいらないものが日々わかるわけで、逆に自分の欲の中から本当に必要なものだけを見つけるための手立てとして使う、というやり方もあるでしょう」
見方を変えれば、情報化社会は、かつてないほど自分らしい生き方ができる時代でもある。
探すのではなく、求めないものを知るために、情報機器を生かしてみよう。
情報機器もゴミがたまれば感度が悪くなるように、心と体もゴミがたまれば感性も鈍る。
ざわざわする心の正体は、雑念という塵と汚れ。
塵を掃き出し、汚れを落とせば、心の迷いもなくなるはずだ。
(191010 第582回)