時の間にも、男時・女時とてあるべし
引き続き世阿弥の『風姿花伝』から抜粋を。こちらも第七別紙口伝、「因果の花を知ること、窮めなるべし」にあった。わかっちゃいるけど…と思うことをあえて取りあげてみた。
誰もが一度は経験したことがあるのではないか。
たいしたことをしていないのに、なぜか物事がスムーズに進んで良いことばかりが続いたり、
あるいは努力しても結果に結びつかないどころか、公私ともに不運が重なるということが。
世阿弥はそれを男時と女時に分ける。
男時とは、何をやってもうまくいく隆運発展の時分で、
女時とは、何をやってもうまくいかない衰運停滞の時分。
その時節を間違えぬようにと注意する。
「時の間にも、男時、女時とてあるべし。いかにするとも、能にも、よき時あれば、必ず悪きことまたあるべし。これ力なき因果なり」
そう、因果である。
タネを蒔いて花が咲くという因果応報は自然の理。
男時(陽)、女時(陰)は、その万物一切の因果の表れ。
すなわち陰陽のバランスである。
これは人の力ではどうにもできないのだから、
出て行く時は臆せず出てゆき、控えるときはおとなしくする。
「この男時、女時とは、一切の勝負にさだめて、一方色めきて、よき自分になることあり。これを男時と心得べし。勝負のもの数久しければ、両方へ移り替わり移り替わりすべし」
移ろう季節を手本とし、花咲くときと、力を蓄えるときを誤らないかぎり、物事は自然の理どおりスムーズにいく。
因果応報に当てはめるなら、女時が「因」で、男時が「果」。
孟子の
「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」に当てはめるなら、
「天の時」が男時で、「地の利」「人の和」が女時だろう。
天運があっても、地の利がなければうまくいかず、
地の利があっても人の和がなければ何事もうまくいかない。
男時が巡ってきたときに、力を発揮できるかどうかは女時の状態による。
さて、あなたの今は男時?
それとも、女時?
(191025 第586回)