はじをすて人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりにける
千利休の「利休百首」の中の一首である。茶の道に通じている人なら「利休百首」を知らぬ人はいないはず。茶人の心得を歌にしてまとめたものだが、茶人に限らず万人にも通用するものが多い。この一首など、なにをかいわんやというものだ。
人には誰しも、大なり小なりプライドがある。
少しでも良く見られたいとか、物知りだとか、頭がいいとか。
だから人にものを問うことを躊躇する。
人前であったり、年下であったり、その道のプロであったり、人生経験が豊富であればなおさらだろう。
しかし、ほんとうはちがう。
プロであればあるほど、経験豊富であればあるほど、人にものを訊ねて糧とする。
聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥。
一生を台無しにし、末代まで恥をさらすことを思えば、いっときの恥など大したことではない。
いや、ほんとうのプロフェッショナルは、問うことなど恥とも思わないのだ。
かの戦国時代最強の武将、武田信玄は、戦の名人であると同時に、ものを問う名人でもあった。
部下はもちろん、民百姓にも問い訊ね、意見を請うた。
真に明敏な人は、どんなものからでも学ぼうとする。
論語にもあるではないか。
「敏にして学を好み、下問を恥じず」と。
問うことに合わせ、聞く耳をもつことも重要だ。
問うことはできても、聞く耳がなければ馬耳東風。
自分の話ばかりに終始して、人の話を聞かない、聞けない人が多くなった。
どんなに自分がすごいかを話すより、人の話に耳を傾けることができる人のほうが、はるかにすごい。
本来、動物は耳がいい。
そうでなければ、生きていけないから。
微かな音を察知し、危険を回避する必要がある。
自然にならえば、「聞くこと」がいかに大切かがわかるだろう。
恥を忍んで問うてみる。
「利休さん、人に聞いてもわからないときは、どうすればいいですか?」
(利休:『目にも見よ耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問ひつつよく合点せよ』ちゅうこっちゃ。なんでもええ、どんなものからでも貪欲に学んだらええ)なんてね。
(191125 第595回)