個性とは元素のようなものではなくて、ひとつの有機体
モザイク画で有名な画家、パウル・クレーの詩の断片だ。とりどりの色を巧みに操り、とらわれのない自由なスタイルで子供のような絵を描くクレー。彼は画家であると同時に詩人でもある。詩を書くように絵を描き、絵を描くように詩を書いた。どちらからもクレーの心の裡が、つぶさに見える。1905年に書かれた、ある詩の冒頭がこれだ。
―― 個性とは元素のようなものではなくて
ひとつの有機体。
色々な種類の元素が
離れがたく共存している。
もし分離させようとしたら
それぞれの部分は死んでしまう……。
レモンはビタミンCだけで出来ているわけではないし、牛乳だってカルシウムばかりではない。
レモンにも牛乳にも、炭水化物、脂肪、タンパク質、カリウムやカルシウムなどのミネラル成分は存在する。
全体のなかの一部分がビタミンCであり、カルシウムというだけだ。
レモンが育つには土や太陽の光や雨風など、いろんな要素が手を貸している。
牛も同じように、さまざまな要素をたっぷり含んだ草を食べてあんなに大きく育っている。
レモンはビタミンCが、牛(乳)はカルシウムが目立って黄色と白色になっただけ。
――たとえばぼくの自我は
劇場の一座ほどもある。
そこには預言者のような老人も登場すれば
残忍な英雄もわめく。
アルコール漬けの遊び人が博識な教授と理屈をこね
慢性的恋わずらいの抒情詩が賛美の声をあげ
パパが小うるさく文句をつけ
おじさんが気配りして仲介にはいり
おしゃべりおばさんがうわさし
意地悪女中がくすくす笑う。
そう。
一人の人間のなかには無数の人格が存在する。
善人も悪人も、仏も鬼も、美も醜も。
どちらの姿が表に出るか。
どんなときに現れるのか。
あるいは、
どちらの姿を出したいか。
どうであれば現れるのか。
レモンがレモンであるように、牛が牛であるように、
「わたし」が「わたし」であるために、
光や風や大地や草木、そして人びととの交歓で、「わたし」の色を出してみよう。
(191205 第598回)