「自然」と歩みを共にする人は急ぎません
既存のキリスト教派によらない「無教会主義」を唱えた宗教家、内村鑑三の言葉だ。『武士道』『茶の本』と並び、三大日本人論の一冊に数えられる『代表的日本人』からの抜粋。二宮尊徳の章に、この一文がある。
この言葉には続きがある。
「『自然』と歩みを共にする人は急ぎません。一時しのぎのために、計画をたて仕事をするようなこともありません。いわば「自然」の流れのなかに自分を置き、その流れを助けたり強めたりするのです。それにより、みずからも助けられ、前方に進められるのです」
スピードの時代。
物事は急速に変化している。
ゆく川の流れはあまりに早く、水源さえも枯渇させる勢いだ。
自然界のバランスが崩れかけているのか、大地は震え、空が泣き、風は荒れ狂うことをいとわない。
人も動物も、生き物たちはみな行き場を失い、とぼとぼと彷徨っている。
なぜ、こんなことになったのか。
自然の一部であるはずの人間が、自然から離れてしまったからではないか。
自然に逆らい、傲慢になってしまったからではないか。
自然の法は、あわてない。
一輪の花が咲くまでの時間、
一粒の麦が育つまでの時間、
一人の人間が真の人間になるまでの時間、
空にまたたく星々も、太陽も月も、
どれほど気の遠くなる時をめぐってきたことか。
自然の法は、調和する。
強いものと弱いもの、
かたいものとやわらかいもの、
老若男女、
美醜、善悪、
花と虫との関係も、果実と鳥との関係も、
もちつもたれつ生かし合う。
「自然はその法に従うものに豊かに報いる」とは、尊徳の信念。
自然の法は、嘘はつかない。
事を成すには時間がかかる。
「自分のため」が「他のため」に変わった時、大きな力が動き出す。
(191212 第600回)