自然は受け身で受容力のある人にのみ、その真理を伝授してくれる
植物の運動を研究したダーウィン、植物の魂を見たフェヒナー、植物が人間の想念に反応することを発見したバクスター、植物形態の根本にある原植物を提唱したゲーテ、サボテンとおしゃべりした橋本夫妻、植物のオーラを撮影したキルリアン……。植物の神秘に魅せられた人々は、この大宇宙が示す法則をなんらかの形で手に入れた。著書『植物の神秘生活』には、その法則の一端が示されている。この言葉もそのひとつだ。
よく知っていること。
ちょっと知っていること。
まったく知らないこと。
さて、この3つのうち、どれが一番驚きは大きいだろう。
おそらく、3つ目の「まったく知らないこと」ではないだろうか。
人は知っていることよりも、知らないことに心が動く。
興味をもって、あるいは、反発をもって。
子供たちの無邪気さは、「知らないこと」への好奇心。
新しいことをどんどん吸収し、物覚えも早い。
だが、知識を得て知恵がついてくると、しだいに無邪気さは失われてゆく。
なんでも知っていると勘違いして、「知らないこと」が恥ずかしくなったり怖くなって、見栄を張ったり傲慢になってしまったり。
ところがどうだ。
学べば学ぶほど知らないことは増えていくし、知れば知るほど己の無知が身に沁みてわかる。
自然が真理を啓いてくれるのは、まさにそのとき。
自分はまったく知らないことを、素直に認めたときだろう。
「知らない」ということは、人を受け身にさせる。
知らないからこそ、心を開き、柔軟に受け止めることができるのだ。
目に見えるものがすべてではなく、耳に聞こえるものがすべてではない。
見えないところ、聞こえないところほど、自然は大切なものを隠している。
一番身近な自然といえば、自分じゃないか。
人間は自然の一部なのだから。
自分はまったくなにも知らない、ちっぽけな人間なのだと気づいたとき、本来の自分(真理)が姿を見せる。
何をすべきか、何がしたいか、どう生きたいか、どう死んでゆくのがベストかと。
まずは自分に素直になって、目に見えない心と体の声に耳をすませてみよう。
きっと知りたかったことを教えてくれる。
(191220 第602回)