一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ
文豪、川端康成の言葉である。次々と肉親を亡くし、15歳で天涯孤独となった川端。だからだろうか、彼の小説からは愛を求める切なる思いが伝わってくる。いくつもの死を見てきた川端だからこその言葉だろう。
もしも、この世に自分一人しか存在しないとしたら。
楽しみはあるだろうか。
喜びはあるだろうか。
もしも、この世に自分ともう一人、二人だけが存在したとしたら。
どうやって過ごすだろう。
相手には、どういう状態でいてほしいだろう。
大切な人や愛する人が苦しんでいたとしたら。
悲しんでいたとしたら。
それでも自分は幸せだと思えるだろうか。
ラッセルは著書「幸福論」の中で、幸福につながる道をこう示している。
―― 人間は、自分の情熱と興味が内ではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである。
つまり、自分の関心を外へ向けることで幸せは手に入るのだと言っているのだ。
しかし、不幸の原因を考えつづけているかぎり、自己中心的な考えから抜け出せず、外部への関心も興味も抱けないまま不幸の連鎖にはまってしまう、とラッセルは言葉を継ぐ。
情熱と興味が外に向けられたとき、自分のなかで湧き上がる感情がある。
苦しんでいる人を助けたい。
困っている人の力になりたい。
あの人を笑顔にしたい。
一緒に喜びを分かち合いたい。
美しい景色を見て、写真を撮ったり、絵を描いたり。
音楽を聴いて歌ったり、踊ったり、楽器を奏でたり。
それが人を喜ばせ、幸せにすることがある。
大切な人が、愛する人が、自分のしたことによって幸せになってくれたら。
「ありがとう。あなたのおかげで私は幸せです」
一人でもいい。
そう思ってくれる人がいてくれたとしたら。
どれほど幸福感に満たされることか。
たった一人の真心からの「ありがとう」は、
大多数の「いいね」よりも、どんな財宝よりも、幸福を約束してくれるにちがいない。
(191224 第603回)